磨き抜かれた賃貸

T野は、平面計画はおおむね踏襲したものの、ヨーロッパの駅舎を視察し、現在の古典主義系のデザインに変更した。 日本らしさを強調すべく和風か、欧米と比肩できる洋風か。
皮肉なことに、洋風しか学んでいない日本人建築家のT野であれば、後者しかないだろう。 だが、モダニズムが興隆し、東京駅が竣工したとき、様式建築は時代遅れになりつつあった。
東京駅における両面のデザインの対比も興味深い。 前近代のヨーロッパ的な古典主義とアメリカ的なモダニズムによる高層ビル。
前者が皇都を祝福するものだとすれば、後者は民衆の都市にふさわしい。 実際、戦後の日本建築界では、モダニズムが民主主義を担うものとして考えられていた。
五四年に竣工した新生の東京駅は、装飾を排除し、直線による幾何学的な構成と美しいプロポーションによって勝負する。 有名な建築家の作品ではなく、東京工事局建築課や鉄道会館技術部らが設計したすぐれた作品だ。
I藤滋は、論文「国鉄建築の性格」(「国鉄の建築」一九六〇年)において、その歴史を三段階に分けている。 第一期は、大正中期から関東大震災までの準備時代。
第二期は、大正末期から第二次世界大戦までの発展時代。 「ちょうど世界的な設計理論の変革期に当たっていた故もあってか、あるものは古い建築理念駅から脱却しきれず、あるものは消化不良のままの新建築の形態模写に終わってしまった」という。
戦後を第三期と位置づけている。 最初の五年は戦災応急復興だが、一九五〇年代は施設不燃化を進めた。

彼は、「地味であっても、全線区随所に渉って着々と建てられている諸建築の一つ一つに、一見少しの遊びや投げやりがなく、設計者の精根を尽した緊張さを思わせるものがある」と評価していた。 国鉄建築のオリジナリティが生まれつつあるという。
確かに、五〇年代の国鉄建築の作品集を眺めると、非常にていねいにつくられたモダニズム建築ばかりであることに改めて驚かされた。 例えば、川崎駅、岐阜駅、姫路駅、八幡駅、小倉駅、水戸駅、魚津駅などである。
わかりやすい派手さがないので、その素晴らしさは専門家でないとわかりにくいかもしれない。 また当時の状態で残っているものは、少ないと思われる。
水平の連続窓、大きく張り出したキャンチレバー、直線を主体とした構成、繊細なプロポーション、リズミカルなコンクリートの列柱、光と影の戯れ、的確なボリュームの組み合わせなど、モダニズムの語法を吸収し、巧みに活用している。

賃貸にはとてつもない魅力があります。